ちゃたろう —戦いの記録—

飼っている猫が突然死にかけ、そして救われた話

#25 【番外編】ちゃたろうとの出会い

最も絶望的な状態のときに書いた日記がある。

非常に恥ずかしいが、今日はその日記を公開したいと思う。

 

この日記はそもそも、ちゃたろうとの出会いと、今の絶望的な気持ちを記録として残しておき、何年か後、子供たちに見せることができればなと思って書いたものだ(子供たちは私とちゃたろうの出会いの話を知らないのと、動物を飼うことの大変さを伝えたかったので)

 

というものを、公開に合わせて加筆修正した。

恥ずかしいがここに晒しておく。

 

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『夢の終わり』

もう10年以上も前の話だが、ちゃたろうとの出会いは今でもハッキリと覚えている。

決して忘れることができないほどインパクトのあるものだったからだ。

もしこの出会いを他者に話せば、作り話と思われてしまうだろう

さて、前置きはここまでにして、私の頭の中に残っている記憶を書き出したいと思う。

 

今から13年ほど前の話だ。

Mさん(現在の嫁)の家に泊まっていた私は「ある夢」を見た。

猫を飼い、猫と幸せに暮らし、そして猫の最期を迎える……。

 

目覚めると、目には薄らと涙を浮かべていたようだ。

夢の中の猫がどんな最期だったのかは記憶にないが、よほど悲しいものだったのだろう。

 

私は寝起きそうそう「……猫、飼いたい」と声にしていた。

この自然と口から溢れ出た台詞を聞いたMさんがギョッとしていたのを今でもよく覚えている。

 

それもそのはずだ。

私は猫に全く興味がなかったのだから。

むしろ猫が好きか嫌いかの二択を迫られたら、嫌いと答えただろう。

 

そんな猫に無関心な男が、寝起きそうそう猫を飼いたいなどと言い出すのだから、それを聞いてしまった人の心中はお察しする。

 

そうこうしているうちにMさんが出掛ける準備を終え、玄関のドアを開けると、

 

「…………嘘でしょ」

 

と、まるでお化けでも見たような声を出していた。

 

私はお化けが出た玄関へと近づいてみる。

この部屋は1Fなこともあり、玄関のドアを開けると廊下を挟んですぐに雑草が生い茂る景観の素晴らしいアパートだった。

 

なんとその雑草で茶色の猫が遊んでいたのだ

 

猫と過ごす夢を見て、猫を飼いたいと思った朝に、目の前に猫がいるのだ。

この家には何度も来ているが、猫が遊んでいる姿なんて初めて見た。

この邂逅に強い運命を感じてしまった。

いや、運命を感じないほうが難しいのではないだろうか。

 

「おいで」

 

と、私の家ではないが家の中へ誘うと、茶色の猫は遠慮なくズカズカと入ってきた。

 

猫は初めての室内なのか、興味津々に家の中を一通り探索する。

少しはゆっくりしてくれたものの、やがて玄関に行ってしまい、ドアに向かってずっと鳴き続けてしまった。

 

——外に出たいのだろう。

野良猫なんだから外の世界に戻りたいのは当然だった。

運命を感じたのは私のエゴに過ぎない。

この猫を飼いたい気持ちはあったが、いつまでも閉じ込めていては猫が可哀想だろう。

もはやここまでか。

 

私が玄関のドアを開けると、猫は外へ出てスタスタと歩き始めてしまった。

やがてアパートのエントランスへと消えて行くのを私は名残惜しそうに眺めているだけだった。

 

きっとこれで良かったのだろう。

……そうは思っても、運命的な出会いをした猫をきっぱりと諦めるのは難しかった。

私はずっとあの猫のことを考える始末だ。

猫と別れて2〜3時間後、何かの期待を込めて玄関のドアを開けてみた。

去ってしまった猫がいるわけなんてないのに。

 

しかし不思議なことは再び起こった。

朝と同じ光景が飛び込んできたのだ。さっきの茶色の猫がまた雑草で遊んでいたのだ。

この猫を何がなんでも飼うと決めた瞬間だった。

 

この猫こそが、ちゃたろうである

 

ちゃたろうとの生活が幸せだったのは言うまでもない。

その間にMさんと結婚し、子供も3人生まれた。

気づけば随分と大家族になったものだ。

 

――あの時、見た夢。

内容はぼんやりとしているが、猫と共に過ごした幸せな時間はきっとこんな感じだったのかもしれない。

 

しかし夢にはまだ続きがある。

猫の最期を迎えることだ。

 

 

——そして話は現在へと移り変わる。

 

ちゃたろうの容態が急激に悪化し、かかりつけの病院に入院することになった。

この病院で出された結論は原因不明。

うちではどうすることもできないと、大きな病院を紹介された。

もしかしたら大きな病院に行くまでもたないかもしれない、と言われるほどに重症だった。

肝臓が悪化しているのだ。目には黄疸が出現し、ヨダレも垂れ流しの状態だ。

 

紹介された大きな病院は『どうぶつの総合病院』といい、車がないとアクセスしづらい場所にある。

しかしながら東北自動車道の下を通る122号線沿いなので、車があればアクセスは良い。

ネットでこの病院の評判を調べたところ、動物病院界の最後の砦的な存在であることが書かれていた。

値段は高いが腕は確か、という安心と不安が錯綜する書き込みを何度も見かけた。

 

さて、この病院での検査の結果、胆管に大きなしこりがあると伝えられた。そしてこのしこりは癌の可能性が非常に高いだろうとのことだった。

更に絶望的なのは癌であれば手の施しようがないから、今すぐ猫を連れて帰って最期の時を一緒に過ごして欲しいという内容を伝えられた。

 

しかし癌じゃない僅かな可能性に賭けて、治療しつつ検査の種類を増やし、胆管のしこりの正体を確定させる選択肢もあるとのこと。

癌の可能性が高いってだけで、まだ確定はしてないのだから。

しかしそれで癌が確定した場合は諦めるしかないことになる。

 

私に迷いなどなかった。

この段階で諦めることなんてできない。

僅かな可能性に賭けてみることにしたのだ。

 

話は良い方向に進んできた。

癌じゃない可能性が強まってきたのだ。

しかし状況がなかなか許してはくれない。

 

ちゃたろうの状態が依然として悪いままで、いつ亡くなってもおかしくない上に、貧血まで進行し始めたのだ。

望みは出たものの、時間との戦いを余儀なくされてしまった。

 

……これが終わりなのだろうか。

これがちゃたろうの運命なのか。

ここがあの時の夢の終わりのシーンだと言うのだろうか。

 

しかし諦めることなどできなかった。

運命に抗ってみせる気持ちで、手術に向けてステップを進めることにした。

綱渡り的な状況が続く中、運の良さも味方をしてくれた。

 

何よりこの病院ならやってくれるだろうと信用できたことも大きい。

胆管のしこりの正体がついに判明したのだ。

巨大な胆石だったようだ。

 

最初は高確率で癌とされていたものが胆石だったのだ。

これを手術で取り除くことができれば黄疸も治るとの見解だ。

私はちゃたろうと病院を信じ、手術に踏み切ることにした。

 

手術中の私の心境はここでは語り尽くせない。

そして無事に成功した喜びも。

 

病院を出てすぐにやるべきことは、妻のMさんへの連絡だった。

結果を心配しているのは私だけではないのだから。

しかし成功した喜びに涙が止まらず、電話できそうにはなかった。

 

仕方ないのでメールで送ることにした。

しかしメールを打ち終わる間際で指は止まり、入力した文字列を全て消した。

例え上手く伝えられなかったとしても、今の感情をきちんと声で伝える必要があると思ったからだ。

泣いてたっていいじゃないか。

決して恥ずかしいことじゃない。そういうのも含めて伝えなければいけない。

感情を持たぬ文字列では何も伝わないのだから。

 

おかげで手術失敗したかのように伝わってしまい、大きな誤解が生じてしまったのだが、それはそれである。

 

手術も無事に終わり、あとはゴールに向かって突き進むだけとなった。

黄疸の数値も順調に下がり、貧血も下げ止まり自分で血を生成できるようにもなった。

そしてご飯も食べるようになったとの嬉しい報告も。

 

勝利は確定だ。

苦しい戦いもこれで終わり、あとは元気な姿のちゃたろうが帰ってくるのを待つのみとなった。

当初は元気なちゃたろうを再び見ることなんて夢物語だったのに。

そんな幻影がとうとう実現してしまうというのだ。

 

……しかし。そう上手くはいかなかった。

黄疸の数値が再び悪化し、ちゃたろうが非常に悪い状態に戻ってしまったのだ。

手術前と変わらぬ苦しむ姿に。

 

あとはもうゴールのテープを切るだけだったのに何故?

どうして希望を与えた後に絶望の淵へ突き落とすのか。どうせ奪うなら希望なんて与えないで欲しかったくらいだ。

 

担当の外科医の先生は、あとできることは内科的な処置だという。

それでダメなら再手術しかないと。

 

再手術なんて、ちゃたろうの体力が持つとは思えなかった。

 

——手術は不完全なものだったのだろうか?

失敗なのだろうか?

疑心暗鬼が強まるのと同時に私の病院を信用する気持ちが弱くなっていくのを感じた。

こんな状態で再手術の決断などできるはずはない。

 

ちゃたろうと出会った日に見た夢。

夢の終わりのシーンは「ここ」なのかもしれない。

こんなところが終わりなのか……

勝ったと思った先に待ち受けていたのは、こんな結末だというのか。

 

 

——いや、ここで諦めるわけにはいかない。

ちゃたろうは苦しいなか、孤独に今でも頑張っているのだ。

私が諦めることはちゃたろうに対して失礼じゃないか。

一番大変なのはちゃたろうなんだから。

 

まだ諦める時じゃない。

まだ結末じゃない。

勝手に夢の最期のシーンと重ねてはいけない。

 

絶望していても何も始まらないだろう。

やれるだけやって、ダメなら仕方がない。

生き物の命に絶対や確実なんてないのだから。

 

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日記を書くことで良いことも悪いことも吐き出せたおかげか、私の思考はいつしかプラスなものへと変化していた。

書けば書くほど、ちゃたろうのことを諦めたくない気持ちが強まったのだろう。

 

——ここが最後の勝負になると直感した。

再手術になるだろう。

 

ちゃたろうの体力、状態、手術内容、輸血、などなど。

必要なことを数え上げればキリがない。

 

そして最後の最後で必要なものは……運なのかもしれない。

あとは最後のピースである運をつかみ取れるかどうか。

 

明日はちゃたろうとの面会がある。

同時に担当の医師と話しをすることにもなっているので、納得のいくまで話を聞いてみたいと思う。

そして病院を信用する気持ちを取り戻し、万全の状態で戦いに臨みたい。

 

ちゃたろう、勝手に諦めたりして本当に申し訳なかった。